統一教会の文先生は知恵深い方なので、「神様は二性性相の中和的主体だ」と結論づけたのです。右側から見れば男性に見え、左側から見れば女性に見えるというのです。二性性相がそうではないですか。内外になっているので、上から見れば男性に見え、下から見れば女性に見えるというのです。それでこそ女性も「よし!」と言い、男性も「よし!」と言うのです。
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原因と過程と結果が明確な内容をもってくる、科学的論理のような論理をもってくる、そのような宗教人が出てこなければ、宗教世界を救うことができないのです。統一教会の「原理」がそうです。これこれこうだからこうだ、神様は二性性相で存在される、宇宙の存在が主体と対象である、ゆえにこの世界は、神様が愛の主体であり、人は愛のパートナーとして造られたという結論がぴたっと合うのです。それが歴史を超越して、愛によって、永遠の世界と結ぶことができる力の作用によって継続されるのです。その千年、万年続く愛の作用が始まったのですが、それが普通の力ならば弱くなるはずですが、弱くなりません。
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神様も愛を中心として一つになるのと同じように、統一教会もそのような観念をもっているために、世界を統一させることができるのです。キリスト教はそうではありません。「神様は絶対的な万能の神様だ。何でもすべてなさることができる」と考えています。しかし、それは誤りです。神様は何でもできますが、本来の原理原則においては、愛は二人で成すことができるようになっています。それゆえに、二性性相を成すようになっていて、愛もその条件の上で可能なのです。
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神様が二性性相の中和的存在としていらっしゃるならば、二性の中和的存在の中心は何ですか。愛です。神様も愛を中心として生きてきました。
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「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃる神様は、いかなるお方ですか。二性性相の神様であると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃるお方です。その主体の本質が愛です。絶対的愛だというのです。
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「原理」の総論は、神様に対してどのように表現しましたか。神様は、二性性相の中和的主体であると同時に愛的主体です。
「愛」というこの言葉も入れなければなりません。それを必ず入れなければなりません。
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神様がアダムとエバを造って二性性相を分立して中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在でなければなりませんか。愛を中心として中和的存在でなければなりません。それとともに、格位においては男性的主体格でなければなりません。
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なぜ神様が人間を創造されたのですか。このような根本問題、私がなぜ生まれたのかという根本問題をはっきり知らなければなりません。神様は愛の主体です。「原理」を見れば、神様が二性性相の中和的存在だというでしょう。中和的立場で愛を中心とした統一的存在だという話はまだしていなかったのです。そこに、愛を中心として統一的存在だということを添付しなければなりません。
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男性の愛と生命の起源はどこですか。神様でしょう。二性性相の中和的主体であると同時に愛の根本であるお方が神様です。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源が神様だ」という言葉を入れなければならないというのです。『原理講論』を修正することができる主人公は私しかいません。それを知っていますか。
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問題の出発点は、神様がいるかいないかということなのです。神様がいらっしゃるならば、人間とどのような関係にあるのですか。神様が人間と関係を結ぶためには、人格的神でなければなりません。人格的な神だということをはっきり悟ったのです。人格的神になろうとすれば人間のようでなければなりません。人間には心があって体があるように、このような素性があるので、人間を造られた神様も、人間と共に共同目的をもつことができるその本体ならば、人間に似ていなければなりません。二性性相という概念は、ここから出てくるのです。
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神様が人格的な神であるように、神様は誰に似ているのでしょうか。神様は、アダムとエバを一つにしたそのようなお方なのです。二性性相の主体は神様です。男性と女性を雑然と一つにしたようなものではありません。一つに合わせたものですが、主体格を備えたそのようなお方です。この主体格の無形の神様の前に、主体格を身代わりして男性と女性が一つになり、その無形の神様の前に相対格位を備えて結ばれることが神様の創造理想を完成することであり、私たち人間、アダムとエバの理想を完成することになるのです。それ以外にはありません。
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東洋哲学では人格的神を知らなかったのです。人格的神がいるということを知りませんでした。陰陽といいますが、漠然とした陰陽では人格的起源となることができないのです。それではいけないというのです。根のすべてのものを備えなければなりません。人がこのようになっているならば、男性と女性のすべての神性を備えることができるそのような根にならなければなりません。そのような意味で、統一教会で教える二性性相、この論理は偉大な論理です。
宇宙の根本
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2.被造世界は神様の二性性相に似て出てきた
宇宙の根本である神様がいらっしゃるなら、その神様は、主体と対象的な観念をもった存在だというイメージが出てきます。それゆえに、私たち統一教会の「原理」でいう二性性相は偉大な言葉だという結論に到達するのです。主体と対象が作用し始めるところから存続が展開するのです。生まれ始めるというのです。このような根本のもとでなされているので、すべての宇宙は二重的です。二重的になって、授け受ける相互作用をするのです。
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被造世界は神様の性相に似ています。すべての被造物は、二性性相の分立体として展開されているということを知っています。主体と対象の関係、それから上下関係、前後関係、左右関係の相対的関係によって連結しているということを私たちは知っています。そのような環境的制度の条件をもった目的とは何でしょうか。愛を目的として動くのです。
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主体と対象はどこから出てくるのですか。これが出てくることのできる基台がなければなりません。統一教会では、これを二性性相といいます。この主体と対象は、人間自体からつくられた主体と対象ではありません。ここにその基台が必要なのです。その基台が二性性相であり、二性性相の中には本性相と本形状がなければなりません。
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主体と対象があって、お互いに作用しなければ力が生じないのです。力は、一人で出てくるものではありません。力は、必ず主体と対象があって初めて生じるのです。私が対象である時、私が心に悪いと感じても主体がなければならず、良いと感じても良いと言うことのできる主体がなければなりません。それで、統一教会の「原理」に、「二性性相」という言葉があるのです。
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「原理」で見ると、神様は二性性相の中和的主体です。主体というものは、何を中心として成立するのですか。愛を中心として成立します。ですから、横的な基盤が必要なのです。刺激的な基盤を多方面にもちたいと思って拡大展開させたのが被造世界です。
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どのような種でも、二つのかけらで一つになっています。豆のようなものも二つのかけらです。神様が宇宙の根本なので、神様の形状に似なければ根本の種になり得ないのです。
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生命の種は必ず二つになっています。これは天地の道理です。神様は、二性性相としてお一人の人格になっています。種の根本を象徴するのです。種には胚芽があるのですが、胚芽には、根になる部分、芽になる部分があります。自らが存続することができる内容をすべてもっているのです。そのまま置いておいても、完成した実体を構成できるようになっているのです。
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神様が二性性相になっているので、私たち人間も二性性相になっているというのです。万物もプラス・マイナスの二性性相になっています。神様と人間と万物を合わせて連結させれば七数になります。これは、段階で見れば三段階であり、広げれば四位基台です。この三数と四数が調和をなして統一されれば七数になります。七数は、創造目的完成数です。
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宇宙は、すべてプラス・マイナスになっています。分子を見ても、プラスイオンとマイナスイオンになっています。すべて相対圏になっているというのです。原子を見ても、陽子と電子になっています。宇宙構成の根本がそのようになっているのです。植物は雄しべと雌しべ、動物は雄と雌、人は男性と女性になっています。すべてが相対的になっています。そのように相対的になり、一つの体制圏に収拾されなければなりません。神様が主体なので、神様を中心として収拾されなければなりません。その創造の意志に一体化した相対圏がつくられなければ、神様の創造の喜びはあり得ないのです。
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統一教会で神様を二性性相の主体としていらっしゃるお方だというのは、すべて科学的な分析結果によって、間違いなくそのようにいらっしゃるという事実を知っていうのです。ですから、主体と対象が完全に一つになれば、神様の力がそこに永遠に存在するのです。主体がなく対象がないところには力は存在しません。それでは、神様はどのように存在するのでしょうか。神様自体内にある主体と対象の力が授け受けすることによって永存します。
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「原理」は二性性相を言っています。二性性相は、なぜ必要ですか。二性性相がなければ創造の調和をつくり出すことができないのです。二性性相があるのでお互いに授け受けできるのであり、その一つは骨と同じで、一つは肉と同じなので、授け受けすることによって新しい形態が展開できるのです。神様が二性性相それ自体なので、神様を中心としてその相対世界が生まれざるを得ないというのです。このように二性性相は、創造的妙味を成し遂げるために必要なのです。
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「原理」でいえば、全体を連結するものが万有原力です。すべてのものに神様の二性性相が入っていって、それがすべて万有原力になっているのです。核心は同じです。
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男性には女性の性相があります。女性も男性の二性性相の要素をもっているために、男性が暮らすことのできる場所があるのです。神様は二性性相なので、女性とも男性とも暮らすことができます。それと同じように、一つの相をもった夫も、女性が二性性相の要素をもっているために夫人の胸の中にとどまることができます。女性も男性の心の中にとどまることができます。一つです。離れることができないのです。
ありがとうございました。
感謝します。
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