2014年8月3日日曜日

心情は神の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝 動」である。ID:puli5i。

統一思想より!
心情とは何か
    心情は神の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝 動」である。
心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例として説明する。
   人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求する。喜ぼうとしない人は一人もいないであろう。人間は誰でも幸福を求めているが、それがまさにその証拠である。そのように人 間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きている。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることもまた事実である。
    それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからである。それでは真の喜び、永遠な喜びはいかにして得られるであろうか、それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのである。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいう。

心情は情的衝動である 
    ここで「情的な衝動」について説明する。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味する。普通の願望や欲望は意志で抑えることができるが、情的な衝動は人間の意志では抑えられないのである。
    われわれは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよく知っている。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとするのも喜ぼうとする衝動のためであり、子供たちが何事にも好奇心をもって熱心に学ぼうとするのも喜ぼうとする衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違っているだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのである。
    そのように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものである。欲望は達成されてこそ満たされる。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、 喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからである。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神にあるからである。

神は心情である
   神は心情すなわち愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動をもっているが、そのような神の 衝動は人間の衝動とは比較にもならないほど抑えがたいものであった。人間は相似の法 則に従って、そのような神の心情を受け継いだので、たとえ堕落して愛を喪失したとして も、喜ぼうとする衝動はそのまま残っている。ゆえに、情的な衝動を抑えることは難しいのである。
    ところで神において、喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動によって支えられて いる。真の喜びは真の愛を通じなければ得られないからである。したがって、愛そうとする衝動は喜ぼうとする衝動よりも強いのである。愛の衝動は愛さずにはいられない欲望 を意味する。そして愛さずにはいられないということは、愛の対象をもたずにはいられな いことを意味する。
   そのような愛の衝動によって喜ぼうとする衝動が触発される。したがって愛の衝動が一 次的なものであり、喜びの衝動は二次的なものである。ゆえに愛は決して喜びのための 手段ではなく、ただ無条件的な衝動なのである。そして愛の必然的な結果が喜びである。 したがって愛と喜びは表裏の関係にあり、喜ぼうとする衝動も実は愛そうとする衝動が表 面化したものにすぎない。
    ゆえに神の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であるとも表現することができる。 愛には必ず対象が必要である。特に神の愛は抑えられない衝動であるから、その愛の 対象が絶対的に必要であった。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかった。 

2014年7月30日水曜日

三数は、天の数で、四数は、地の数と言われます。 神様の創造を数字で単純に表せば、二数(二性性相・二段階・二重目的など二数)で創造して、三数完成になっています。

創造原理より
「万有原力と授受作用を中心として、神と被造物に関することを、具体的に調べてみることにしよう。神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、これらが万有原力により相対基準を造成して、永遠の授受作用をするようになるのである。この授受作用の力により、その二性性相は永遠の相対基台を造成し、神の永遠なる存在基台をつくることによって、神は永存し、また、被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。
また、被造物においても、それ自体をつくっている二性性相が、万有原力により相対基準を造成して、授受作用をするようになる。また、この授受作用の力により、その二性は相対基台を造成し、その個性体の存在基台をつくって初めて、その個性体は神の対象として立つことができるし、また、自らが存在するためのすべての力をも発揮できるようになるのである。

*正 分 合 作 用
万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。

*四 位 基 台
このように、正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。
四位基台は四数の根本であり、またそれは、三対象目的を完成した結果であるので、三数の根本でもある。四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。ゆえに、十二数の根本ともなるのである。また、四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。」
これは、原理講論の内容です。
次に、数字で考えると、
「四位基台は四数の根本であり、またそれは、三対象目的を完成した結果であるので、三数の根本でもある。
四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。
四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。
ゆえに、十二数の根本ともなるのである。
また、四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。
したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。」
いろいろな数字が出て来ます。
三数、四数、十二数  …。
全てが、二重目的になっていると言われるように、神様の創造を数字で考えると、単純・シンプルでありながら、複雑になっている事がわかります。
三数の神様
三数 (三段階) 完成の時に四位基台を完成させて、四数、十二数…
「四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。」
三数は、天の数で、四数は、地の数と言われます。
神様の創造を数字で単純に表せば、二数(二性性相・二段階・二重目的など二数)で創造して、三数完成になっています。
気がつけば、理解出来れば、数字で考えると面白いです。
(勿論、私も、全て理解しているわけではありませんが、このように、書くことで、新たにきずく事が沢山あります。)
神様に感謝します。
これからは、今まで以上に、私自身、神様の心情を中心に物事を考えることができように成りますように!
祈ります。
「神様の真の愛を相続しょう!」
真の愛を相続出来るように祈ります。
神様、真の父母様!

よろしくお願いします。