2011年8月29日月曜日

#文鮮明先生のみ言 人間の生と霊魂の世界 の中から 2.私達は何処に進んでいるのか3

 私達は何処へ行くべきでしょうか。死線を越えてでも行くべき所とは何処でしょうか。神様を求めて、その神様に仕え心から喜んで楽しむ事の出来る日、私の心の世界で「これ以上の願いはありません」と言う事の出来る一時を迎えなければ成りません。その為に、私達は困難に耐えて、無念さに耐えて、悔しさに耐えながら、この世界を越えていかなければならないのです。この様な世界を越えて行く自分自身に成っていない限り、世界と共に消えるのです。

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 人間は何も考えずに流れに任せて生きながらも、死ぬ事を嫌い、「なぜ生きなければならないのか。根源がどの様に成っていて」と、皆様、疑問が多いでしょう。その全ての疑問は、人間の哲学書だけでは解決出来ないのです。哲学というのは、今迄神様を求めて行く道を開発したのです。宗教は何ですか。神様を知って、共に生きる生活から始める事が宗教生活です。

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 霊界を無視しては駄目です。これが行く原則である故に、行くら優秀な人もその原則に合う様にこの地上に生きて一体理想、均衡的な平準化を成し遂げなければならないのです。相対的平面です。均衡を取って、九〇度を中心として引っ掛からないで水平に回らなければならないのです。それで、三六〇度を回りながらも、ここで引っ掛かっては成りません。サタンが少しだけ口出ししても引っ掛かるのです。ですから、回っても、回っていない様に見えるこの様な歴史をもつ人が入っていかなければならないのです。家庭の本格的な再検討時代が来るのです。統一教会検討時代です。これからは教会がなく成るのです。神様に侍って暮らす事の出来る本然の時代です。

感謝します。
あなたの幸せを祈ります。


2011年8月22日月曜日

#文鮮明先生のみ言 人間の生と霊魂の世界 の中から 2.私達は何処に進んでいるのか2

 霊界があるという事実を知っている人達は、人生というものがわずかの間で、死んだのちに私達が迎えなければならない世界が永遠だという事を知っています。故に一生の期間とは、永遠の世界を準備する為の期間だというのです。世の中とはその様なものではないですか。

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 人は何処へ行くのでしょうか。霊界に向かって行くのです。霊界は海と同じです。どうせ行かなければならないのです。海にも流れがあるのと同様に、そこには調和無双な変化があります。海には主流の流れを中心として、淡水にはない調和の存在があります。海に数多くの魚族がいる様に、そこには数多くの新しい天地の家庭がいます。あの世に行く様に成っても同じです。

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 人は何処へ行くのでしょうか。天国へ。この様に成るのです。天使は何処へ行くのでしょうか。天国へ。父母は何処へ行くのでしょうか。天国へ。それだけでなく、育てた子犬は何処へ。地獄ではありません。昔避難する時、北韓でとても良い生活をする金持ちの家に、とても高い犬だと自慢していた人がいました。その人が避難する時、犬をしっかり門に結んでおいて、「おい! 元気でな。私だけ行ってくるから」と言うのです。私達統一教会の食口達は、それではいけないのです。今からは犬も天国へ。全ての万物も天国へ。主人が行く所には、何処でもついて行く事が出来るというのです。

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 霊界と肉界、人間の混乱した思想界の複雑な事を全て打開して、この様に単調で簡単な一つの方向が設定されて、明確な一つの価値観を私が見つめて行く様になったという驚くべき事実を知らなければ成りません。その段階ごとで力が分散されるのではありません。段階が発展すれば発展しただけ、力が共にあるのです。愛の原動力が私の生活圏に反応するのです。ですから、愛から生じ、愛を受けて愛したのち、愛の世界へ行くのです。神様に帰って行くのです。結果は原因へ帰らなくてはならないでしょう。ですから、神様の様な考え方をもたなければならないというのです。

ありがとうございます。
感謝します。

2011年8月21日日曜日

#文鮮明先生のみ言 人間の生と霊魂の世界 の中から 2私達は何処に進んでいるのか1

 2.私達は何処に進んでいるのか

 人生をこの様に生きて行く目的は何でしょうか。この問題を再び考えて皆ければならないのです。動機が自分によるものではなかったので、目的も私だけのものではないに相違ないのです。暮らす事において幸福な立場を嫌う者はいないし、豪華絢爛な立場で生来たくない者はいないと思いますが、思いのままに出来ないのが私です。しかし、また自分自身を誇ってみたいし、思いのままに生来たいし、思いのままに残りたい私です。この様な心情の交差点をもった私だというのです。

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 秋の季節が来たという事実は、冬が迫っているという事をいうのです。冬は、生命があるもののみが通過出来る過程です。生命をもっていないものは全て、ここで後退せざるを得ないのです。それで、冬が来る前に新しい生命を注入しろというのです。新しい生命は新しい愛を中心とした新しい主義と思想、そして、新しい人生観、新しい世界観、新しい宇宙観をもたなければならないのです。そうでなくては冬の季節を通過出来ません。冬の季節を通過出来る生命力をもつ様になれば、それを通過する過程は難しいけれど、行けば行くほど春が近づくのです。春が訪ねてくるというのです。統一教会はその道を行くのです。

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 私達はこの世に生きていますが、この世だけではなくて霊界がある事を知っています。この世と霊界は二つの世界ではなく、一つの世界として連結しています。私達が行くべき所、私達が行って住まなければならないその場所とは何処でしょうか。私達は肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かって行っているのです。一般の人々はこの世に生まれ、十代、二十代、三十代を過ぎて青春時代を過ぎて壮年時代に入って行く様になれば、どんどんと一つの峠を越えて、その次には老年時代に入って行く様に成るのです。この様に、沈む太陽の様に一生を終えます。

頑張りましょう!感謝します。
ありがとうございます。

あなたの幸せを祈ります。